富士フイルム モノクロフイルム&モノクロ印画紙 製造中止か 

富士フイルムのモノクロ製品製造中止?

 
富士フイルムのネオパン アクロスフイルム フジブロWP印画紙 が製造中止とのこと。
これで、モノクロ製品は全て取り扱いが中止されるようです。

近々中に発表されるもよう。

なお、白黒処理薬品 ミクロファイン、コレクト―ル、スーパーフジフィックス、ドライウェルなどの白黒処理薬品はどうなるのでしょうかね。

※ネオパンアクロスフイルム
中庸感度、超高画質の黒白写真用ネガティブフィルムです。このフィルムは、ISO100としては世界最高水準の粒状性と豊かな階調、優れたシャープネスを備えていますので、ポートレート、風景写真、建築写真、商品写真から顕微鏡写真や複写用途に至るまで幅広い分野の撮影に適しています。
また、優れた相反則不軌特性を有しており、低照度長時間露光による感度低下が非常に少なく、建築写真や夜景などの長時間露光の撮影では特に効果を発揮します。
※フジブロWP印画紙
高感度で純白・純黒調の引伸用印画紙で、一般DP用はもちろん、アマチュア・プロフェッショナルを問わず、医学写真、商業写真、および印刷原稿用などとして、広く活用できる万能印画紙です。

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さる4月6日、本年10月から、20120年の10月までに順次販売中止されるとの正式発表がありました。
ちなみにネオパンアクロスフイルムは全種類 本年10月で終了です。

フイルム 昔話 その4 

フイルム 昔話 その4
現像料込フイルム


・3FUJICOLOR N64

1965年(昭和40年)4月に発売された「フジカラーN100」までは、撮影が済むと、すべて郵送で、富士フイルム直営の現像所「富士天然色写真」に送って、現像処理が済むと郵送されて戻ってきていました。
したがって、フイルム購入時には、現像料も一緒にふくまれた金額を支払うことになり、一般的には、「現像料込みフイルム」といわれていました。

東京オリンピックが開催された1964年頃から、富士フイルムは、全国各地(各県最低でも1現像所の開設)に順次現像所網を開設し、フジカラーチェーラボと称してお客様へのカラーフイルムのサービス網を拡充していきました。

これらのサービス体制の拡充に呼応して、「フジカラーN100]を新発売し、従来の「現像料込フイルム」から「現像料を分離したフイルム」価格に変わりました。

もちろん、市場では、従来の「現像料込フイルム」の在庫もありましたので、新たに設立された現像所がその対応をして、処理納期の短縮化をはかっていきました。

今回は、この「現像料込フイルム」について、手元にある「フジカラーN64(1963年10月発売)」の事例でご紹介します。


フイルムの小箱のふたを開けると、小箱の中には、こんな形で詰め込まれています。
・9現像料込 ふたを開けると

それらをひろげてみると
・10FUJICOLOR 現像料込N64DSC_3665

フイルムのほかに、現像依頼郵送用の布袋と説明書各種
ちなみに、フイルムのそばにある黒いものは、パトローネの芯に差し込まれた乾燥剤です。

撮影が済むと現像依頼のための郵送袋で発送
・11現像料込 返送袋(A) 表側 ・12現像料込 返送袋(B) 裏側

富士フイルム直営の現像所は、主要都市にありましたので、自宅の近くの住所のラベルを貼って発送しても構いませんでした。
・13現像料込 返納袋宛先シール

現像料込フイルムの説明書は表面が日本語、裏面が英語でかかれています。
・15現像料込 説明書(日本語)・16現像料込(英文)

返送時の注意書き
・14現像料込 返送時注意書き

プリント依頼時の説明書  
・17現像料込 プリント説明書  ・18現像料込 プリント説明書裏面


「フジカラーN64」の現像料込フイルム価格は、35㎜12枚撮りが380円、20枚撮りが500円でした。

ちなみに、各地の現像所が処理をすると、フイルムの先端部分(ベロといっていました)を、一か月纏めて所定の報告書に貼って送ると、12枚撮りで80円、20枚撮りで110円が、精算されてきました。

森永ミルクキャラメル16粒入りで20円の時代ですが、高かったのか、安かったのか・・・・?

フイルム 昔話 その3 

フイルム昔話
135カラーリバーサル&カラーネガ フイルムのご紹介

リバーサルカラーフイルム編
9-135R1DSC_3470.jpg   1849年10月発売
FUJICOLOR SAFERY FILM
外型反転方式 不燃性セルロースダイアセテートベース採用
ASA感度10

10-135R2DSC_3462.jpg   1955年10月発売
FUJICOLOR REVERSAL
ASA感度10

11-135R3DSC_3465.jpg   1958年10月発売
FUJICOLOR REVERSAL
内型 不燃性自社製TACベース採用
ASA感度10

12-135R4DSC_3466.jpg   1961年7月発売
FUJICOLOR R100
ASA感度100

13-135R5DSC_3469.jpg   1966年4月発売
ニュータイプR100
オイルプロテクト型カプラー採用
現像料分離 以後全国の総合ラボにて、順次リバーサル処理体制展開

ネガカラーフイルム編
・1FUJICOLOR N32  1958年10月発売
FUJICOLOR Nフイルム 
フジフイルムが初めて発売したFUJICOLOR NフイルムはASA32
不燃性自社製TACベース採用

・2FUJICOLOR N50  1961年10月発売
FUJICOLOR N50
ASA感度50

・3FUJICOLOR N64   1963年10月発売
FUJICOLOR N64
新たに開発したカラードカプラーとともにオレンジ色マスクのフイルムベースを採用
ASA感度64

・4FUJICOLOR N100   1965年8月発売
FUJICOLOR N100
現像料分離
ASA感度100

・5New FUJICOLOR N100   1971年4月発売
ニュータイプFUJICOLOR N100
オイルプロテクト型カプラーを採用
ASA感度100

・6FUJICOLOR FⅡ   1974年11月発売
FUJICOLOR F-Ⅱ
ASA感度100

・7FUJICOLOR FⅡ400   1976年10月発売
FUJICOLOR F-Ⅱ400
世界初の高感度カラーネガフイルム
ASA感度400

・8FUJICOLOR FⅡ-24EX   1976年10月発売
FUJICOLOR F-Ⅱ
FUJICOLOR F-Ⅱ400の発売にあわせ、さくらからー24対抗策として24枚撮りを採用
ASA感度100

フイルム 昔話 その2 

フイルム 昔話 その2
富士フイルム ブローニーフイルム

「その1」で、富士写真フイルムの前身 大日本セルロイドで試作された「大日本フヰルム」は日の目をあびることはなかった。
富士写真フイルム設立のそもそもの目的は、国産の映画用フイルムの製品化であったが、写真の需要が高まるにつれ、ロールフイルムの研究にも目を向けるようになった。

ということで、ロールフイルムには、いろいろなタイプがあるが、ここでは、ブローニーサイズを中心として、当方のコレクションの中から、紹介をさせていただく。
なお、今回 紹介するブローニーサイズの富士フイルム製モノクロフイルムで、1980年からのCIマーク採用され、そのCIマーク表示前までに限定した。
●1DSC_3433
1936年
富士ネオパン
富士フイルム初のフイルム?
このフイルムは市場に出たのか、富士フイルムの資料にはでてこないのので不詳
有効期限表示は、「西暦」ではなく、「皇紀」表示で、2605年9月(西暦1945年)となっている。

●2DSC_3434
1937年6月発売
富士ネオパンクロマチックフイルム
有効期限表示は、「西暦」ではなく、「皇紀」表示で、2605年8月(西暦1945年)
ただし、手元には3本あるが、西暦表示も混在
ほかに富士クロームフイルム富士ネオクロームフイルムを1936年4月に発売している。

●3DSC_3437
1948年3月発売
富士フイルムネオパンクロフイルム
戦後、GHQの統制が厳しく、需要があっても、供給が思うように製造することができなかった。
再三のGHQとの交渉により、3つの条件付きで一部緩和され、GHQから許可され、発売に至ったフイルム。

●5DSC_3441
1949年10月発売
FUJI NEOPAN
その後 FUJI NEOPANCHROME FILMが1950年9月発売

●4DSC_3438
1952年4月発売
FUJI NEOPAN SS
その後 NEOPAN Sが1953年4月 NEOPAN SSSが56年3月 に発売されている

●6DSC_3442
1958年9月発売
FUJI NEOPN F

●7DSC_3445
1958年秋~
FUJI NEOPAN S
富士フイルムの基調色をグリーンとし、順次切り替え

●8DSC_3446
1958年秋~
FUJI NEOPAN SS
富士フイルムの基調色をグリーンとし、順次切り替え

フイルム 昔話 その1 

フイルム昔話 その1
ロールフイルム
●p059_02
ロールフイルムは、国内で、1990年代後半に、年間 4億本を大きく超えた全盛期から10年後には、その1/10近くの5500万本にまで落ち込み、さらに下降線をたどっている。

ロールフイルムが世の中に出てきたのは、1885年(明治17年)のことで、イーストマンコダックが発表し、その後、このフイルムを使うボックスカメラを発売したことにより、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパのカメラ先行国が一気にロールフイルムカメラに転向した。
国内では、小西六本店(現コニカミノルタ)、浅沼商会などが、ロールフイルムとカメラを輸入し、取り扱うようになった。

その後、小西六本店は、六桜社を設立し、フイルム・印画紙の製造を始めた。
また、大日本セルロイドがセルロイド産業の拡大をはかるために、フイルム研究所を開設し、フイルム研究と製品化に着手し、1932年(昭和7年)写真フイルム部を設置。 
そして、1934年(昭和9年)に、この写真フイルム部を分離独立させて富士写真フイルムが発足した。

コダックを始め、海外製品に頼っていた市場の中で、国産フイルムは苦戦を強いられたものの、戦時経済の中で、国産品愛用、輸入削減の波に乗って、徐々に地位向上もでき、軍需・報道の需要拡大にも援護され、急成長をとげた。
戦後、原材料不足と統制が厳しい時代が続いたが、その後、GHQの統制も緩やかになり、写真人口の増大とともに、国産フイルムは活況を呈していった。

当時の国内市場をみると、小西六写真工業の優位性が高く、長い間、小西六写真工業はトップの座に君臨していたが、昭和30年代の「さくらパンフイルム」の事故対応と、昭和40年代のカラーフイルム流通整備の遅れもあり、富士写真フイルムが一気にトップの座を奪い取り、その後、小西六が返り咲くチャンスにも恵まれることがなくなった。

そして、小西六写真工業は、カメラのコニカブランドに統一した社名 コニカに変更し、さらに、フイルムも「さくらカラー」から「コニカカラー」に商標変更した。
その後、ミノルタカメラと統合し、コニカミノルタに社名変更したものの、2006年(平成18年)写真事業分野を大日本印刷系列に譲渡したものの、3年後の2009年(平成21年)フイルム生産事業を打ちきり、完全にフイルム製造及び販売事業より撤退した。

海外では、コダックが2012年(平成24年) 「米国連邦破産法第11条」の適用 を申請し、法的整理から脱却し、基幹産業をグラフィックアーツ関連事業に集約し、コダックブランドの写真事業を売却をしたにもかかわらずフイルムの登場はなかった。

また、アグファは、2004年(平成16年」に、フイルムビジネスを別会社のアグファフォトに事業売却したが、そのアグファフォトも残念ながら、1年余で経営破綻し、フイルムブランドは一時OEMでイタリアの企業でで回ったものの霧散してしまった。

カラーもモノクロフイルムも取り扱うメーカーとしては、全世界で、富士フイルム一社のみとなってしまった。

おもカメ倶楽部の必需品でもあるフイルムは、どのようになっていくのか、気になるところでもある。
そこで、今回は国産ロールフイルムの変遷についてまとめてみました。

1928年(昭和3年) 旭日写真工業が「菊フイルム」を発売。
●菊フイルムfilm0031

1929年(昭和4年) 六桜社(現コニカミノルタ)が、「さくらクロームフヰルム」を発売。
●さくらクロームフイルム

1931年(昭和6年) 大日本セルロイド(現ダイセル)が、「大日本フヰルム」を試作発表。
●富士 大日本フヰルム1931年 (2)

1934年(昭和9年) オリエンタル写真工業(現サイバーグラフィック)が、「オリエンタルクロームXフイルム」を発売。
●オリエンタルクロームXフイルム2

1937年(昭和12年) 富士写真フイルム(現富士フイルム)が、「富士クロームフイルム」「富士ネオクロームフイルム」「富士ネオパンクロマチックフイルム」を発売。
●2富士クロームフイルム1936年
●2富士ネオクロームフイルム1937年
●2DSC_3434